ボイジー滞在日記(その後)
98/08/25 運転免許の切替に挑戦
アメリカから持ち帰った、最大の「自分自身へのお土産」は、言うまでもなく「運転免許」です。 せっかくアメリカで安い費用で運転免許を獲得したのですから、これを日本の免許に切り替えない手はありません。
そうは言っても、アメリカでレンタカーしか運転したことのない私にとっては、日本の道路をドライブするのは、やはり不安です。 とりあえず、国際運転免許証のおかげで当面の運転資格はあるので、帰国後しばらくは実家で過ごし、その間に父の車で運転の練習をさせてもらいました。
いざ、試験場へ
大阪府の光明池運転免許試験場に電話で切替手続きの方法を問い合わせたところ、切替手続きの手順は「書類審査および適性検査」「知識確認」「技能確認」の3段階で、最初の1日で知識確認まで済ませることができて、技能確認は後日指定日に行われるとのこと。 とりあえず、申請に必要な書類をとりまとめて、8月25日の午前に、光明池に出向きました。
書類審査、適性検査(視力検査)は問題なくパス。 そのあと、事務室に招き入れられ、隅っこの机で知識確認の問題に解答しました。 イラストを用いた正誤式の問題が10題、そのうち7題以上正解で合格です。 ただし、光明池試験場では、知識確認は原則として免許を取った国の言語で受けることになっており、問題文は英語で書かれていました。 問題はとてもやさしく、あっさり合格しました。
マニュアル車は一度も運転したことがないので、免許の種類は「オートマチック限定」を指定しました。 また、アメリカでの運転経験が1年に満たないため、切替後の日本の免許に「初心者設定」がなされ、切替後1年間は「わかばマーク」を表示しなければならないとのことです。
今日のところは、手続きはここまで。 およそ2週間後の9月8日午前に実技確認の予約を入れておきました。
実技確認の狭路走行で脱輪!
9月8日、朝8時頃に試験場に行き、実技確認コースの下見をしました。
父の車でひととおりの練習はしているので、外周とか右左折は大丈夫。 問題は狭路走行、すなわち「S字」と「クランク」です。
コースを歩いてみると、S字もクランクも、道幅は試験車の幅の4割増程度で、「狭い!」という印象を受けました。 こんな狭いコースを走る技術など、アメリカでは必要になろうはずもなく、全く初めてのチャレンジです。
受付を済ませて待合室に入ると、最初にビデオを使った説明、それから試験官によるコース説明と諸注意を受けました。
外国免許切替の人は8人ほどで、そのうち4人ほどがオートマチック。 私は張り切って最初に受付をしたため、最初の番でした。
少し緊張気味に、試験車の運転席に乗り込みました。 助手席には試験官、後部座席には次の順番のアジア系外国人を乗せて、おそるおそるコースに出ていきました。
最初の外周は、特に問題なくクリア。
コースの内側に入り、第一の難関、S字に入るところで、最初の失敗。 S字へは左折で入るのですが、入口で左に寄りすぎて、内輪差のせいで入れなかったのです。
しかたなく、切り返しをしてなんとかS字に進入。 そのあとは、出口までスムーズに進みました。
ほっとしたのも束の間、次は第二の難関、クランクが待っています。
こんどは、左折での進入はクリア。 すぐ先に右への屈曲があるので、道の左端をクリープで進み、「このへんでいいかな」と、一気に右にハンドルを切ったのですが…
右の後輪が縁石に引っかかってしまいました。 またしても「内輪差」です。
何回か切り返しを試みたのですが、それでも脱出できません。
ついにあきらめて、アクセルを踏み込んで縁石を乗り越えて通過。 当然、その時点で「試験中止」です。
ここから先は合否と関係ないので、開き直って次の左屈曲にトライ。 こんどはなんとか切り返し1回で通過できました。 クランクを抜けたら、あとはスタート地点へ直行です。
試験官から実技確認日再指定の用紙を受け取って、窓口へ。 今回の失敗にめげずに、2週間ほど後の9月22日午前に次の予約を入れておきました。
嵐の中での再試験
2週間後の試験を黙って待っていてもしかたありません。 敬老の日の休みを利用して実家に帰省し、父の車で再び運転の練習です。
考えてみたら、日本で教習所に通ったこともなく、道路も駐車場も広いアメリカで運転を覚えた私に、いきなりあんな狭い道を通れといわれても、無理に決まっています。 そういうわけで、「前回のは練習、次が本番」と開き直って、気楽に次の試験を待ちました。
22日朝、台風が近づいていて雨模様の中、光明池に赴きました。
前回と同じように、ビデオでの説明と試験官の注意を受けたあと、試験が始まりました。 だいぶ雨が激しくなってきましたが、試験は予定通り行うとのことです。
今回は外国免許切替のオートマチックは4人で、しかも全員が再試験。 要するに、今日はすでに不合格になった人ばかりを集めた「追試の日」なのです。 ああ、やっぱりみんな一度は落ちるんだ、と知って、気が楽になりました。
今回は私は2番目。1番目は前回私の試験に同乗したアジア系の外国人で、こんどは私が後部座席に同乗します。 前回は「最初」ということで、けっこう緊張したのですが、今回は前の人の「見学」ができる分だけ、やりやすくなりそうです。
彼は外周も狭路走行もそつなくこなし、めでたく合格。 そのあと、私は運転席に移り、後部座席には次の順番の、韓国で免許を取ったという日本人女性が乗ってきました。
激しい雨の中、ワイパーを動かして試験コースへ。
最初の外周は問題なし。 S字の入口もすんなり入り、慎重にS字を走っていきましたが、こんどは途中で内側の縁石に乗り上げてしまいました。 すぐに止まったので、減点はされるものの試験は継続。 落ち着いて後退し、リカバーしました。
さて、いよいよ問題のクランク。 前回は内側の縁石に引っかかったから、今度はいっそのこと外側の立体障害物にぶつけてみようではないですか、という気持ちで、最初の右屈曲で、ぎりぎりまで前に進んでから右にハンドルを切りました。 そして、おそるおそるクリープで進んでいくと… ぶつからないんですね、これが。 ちゃんと外側は障害物に触れずに通過、もちろん内側は余裕でクリアです。
一つ目の成功に意を強くして、次の左屈曲にトライ。 こんども、めいっぱい外側を通ってみると、あっさり切り返しなしで通過。 なんだ、やればできるんだ、と気をよくして、残りのコースを走破しました。
そんなわけで、今回はめでたく合格。 午後に写真撮影が行われ、免許証が交付されました。 有効期限の地色が緑、「初心者」の印です。
いよいよ台風が近づいてきて風雨が激しくなる中、真新しい免許証を手に、光明池をあとにしました。
99/03/24 ボイジー「取材」旅行記
ボイジー滞在を終えて帰国してから8ヶ月後の99年3月、再びボイジーを訪れることになりました。
訪問の目的は、ひとつは、昨年も参加したボイジー州立大学での研究集会 「Boise Extravaganza in Set Theory」(BEST Conference)に出席するため、そして、もうひとつは、Boise on the Web内の「ボイジーの観光・ドライブガイド」を作成するための「取材」です。
Boise on the Webを作り始めたときから、ゆくゆくは「観光ガイド」のようなものを載せたいと思っていました。
というのは、アイダホ州に関する日本語の観光情報というのはこれまで皆無に等しく、「地球の歩き方」でさえ、アイダホ州については一切触れていないからです。
とはいえ、私にしてもボイジーに滞在していたのは10ヶ月ほどで、それほど多くを知っているわけではありません。
ですから、ガイドを作るためには、それなりの「取材」がぜひとも必要です。
そこで、とりあえず知っている情報だけで「暫定版」のガイドを作成し、ボイジー滞在の大先輩、さちこさん(日記1月28日参照)にメールでアドバイスをお願いしました。 さちこさんは、私が帰国する少し前に帰国していましたが、観光ポイント、レストラン、ドライブコースなど、たくさんの情報をメールで提供してくださいました。
あわただしい旅立ち
今回のボイジー訪問は、さまざまな事情により、とても窮屈な日程になってしまいました。
BEST Conferenceの会期は、26日(金)から28日(日)までの3日間。
その後は、4月1日付で北海道北見市に就職することが決まっていたため、31日中に北見に行かなければなりません。 それから逆算すると、ボイジーを29日午前に出発、30日午後に成田に到着、東京で1泊して31日に空路で女満別へ、という帰国スケジュールになり、Conferenceの後には全く余裕がとれません。
出発前はというと、それまで住んでいた堺市のアパートを引き払い、引越荷物を発送しなければならず、こちらのほうも、あまり早められません。
結局、24日に成田から出国、サンフランシスコ経由で同日午後ボイジー着という出発スケジュールが固まり、なんとかConference前に1日だけフリータイムを捻出しました。
24日、大阪から陸路で成田空港へ行き、リニューアルオープンしたばかりの第1旅客ターミナルで出国手続きを済ませました。 海外渡航はこれで5回目ですが、過去4回はすべて関西空港利用。 成田からの出国は初めてです。
17時、ユナイテッド航空852便で、サンフランシスコへ出発しました。
隣の席にすわったのは、一人旅の日本人の青年。 話を聞くと、なんと、彼の行き先も私と同じボイジーでした。 アイダホ州に留学中の友人を訪ねるとのこと。 まさに「奇遇」です。
1回目の機内食を食べ終わると、映画も見ないで就寝体制へ。 たった5日間の短いボイジー滞在で最大の「取材」成果をあげるためには、「時差ぼけ」などしていられません。
同日朝9時頃、サンフランシスコに到着。 国内線ゲートに近いカフェテリアで、隣席の青年と朝食をご一緒しながら、ボイジー行の飛行機の出発を待ちました。
12時頃、ボイジーに向かって出発。 国際線での寝不足もあって、水平飛行にはいるとすぐ眠りに落ちてしまい、飲み物のサービスを逃してしまいました。
1時間半ほどで、スネーク川の峡谷を越えて、ボイジーの上空へ。 今までの経験では、ボイジーの空港へは東側から進入するのが常でしたが、今回は風向きの関係か、大きく旋回して西側からのアプローチ。 左手に市街地の風景を見ながら、滑走路に滑り込みました。
バゲージクレームで荷物を受け取った後、隣席の青年と別れ、レンタカーを借りてボイジーの町へ。 ひさびさのアメリカでの運転とあって、左ハンドル車には少しとまどいましたが、すぐに勘を取り戻しました。
まずは、ボイジー州立大学に隣接するモーテル「University Inn」に行き、チェックイン。 そのあと、さっそく数学・計算機科学科に行き、TomekやJoanna、Marionたちに挨拶しました。
その日の夜は、Tomek夫妻が私を家に夕食に招いてくれました。
ツインフォールズへまっしぐら!
翌25日、滞在中たった1日の「終日フリータイム」。 午前中はツインフォールズへのドライブ、午後はボイジー市内の取材に費やすことにしました。
ツインフォールズへは、ボイジーから東へおよそ130マイル(200km)、フリーウェイ経由で片道2時間ほどです。 さちこさんが「ドライブコースにぜひおすすめ!」と教えてくれたので、滞在中にぜひ行きたいと考えていました。
朝7時頃にモーテルを出発し、まずは市内のアルバートソン公園を散歩。 さまざまな野鳥の集まるサンクチュアリで、バードウォッチングには最適です。
8時頃、空港近くからI-84フリーウェイに入り、一路ツインフォールズへ。 ボイジーの町を離れると、そこから先は、どこまでも広がる枯草色の荒野の中を行きます。 アクセルを思い切り踏み込み、制限速度いっぱいの75マイル/時(およそ120km/h)でひたすら走りました。
2時間ほどでツインフォールズに到着。 I-84を降りて93号ハイウェイ(州道)に入ります。
しばらく南に走り、スネーク川にかかる大きな橋を渡ると、すぐ右手にビジターセンターがあるので、休憩がてら立ち寄り、ツインフォールズ最大の景勝地、ショショーン滝(Shoshone Falls)への地図をもらいました。
ツインフォールズの市街地を抜けて、広大な畑の中の一本道を東へ。 そして、3マイルほど行ったところで脇道に入り、スネーク川の峡谷へ下っていきます。 細く曲がりくねった道を進んでいくと、どこからか滝の音が聞こえてきます。
道の終点の駐車場に車を止めて、ドアを開けたとたん、大きな滝の轟音に驚かされました。 崖っぷちの展望台に行ってみると、すぐ目の前に雄大な滝が見え、迫力満点です。 「西のナイアガラ」とも呼ばれるこの滝の大きさは、言葉でも写真でも伝えきれません。
しばらく滝の眺めを堪能した後、農道をさらに東へ2マイルほど行き、もうひとつのスネーク川の滝、町の名前にもなっているツインフォールズ滝(Twin Falls)にも立ち寄りました。
時刻は12時少し前。 ツインフォールズの一つ東寄りの入口からI-84フリーウェイに入り、まっすぐボイジーへ戻っていきました。
帰りは途中で食事&給油の休憩をとったため、2時間半ほどかかってボイジーへ。 いったんモーテルの部屋に戻ったあと、ジュリア・デーヴィス公園のほうへ散歩がてら取材に出かけ、動物園やディスカヴァリーセンターなどの写真を撮りました。
夕食は、さちこさんおすすめのステーキレストラン、Lock Stock & Barrelへ。 外から見ると、窓のない倉庫のような建物ですが、店内に入ってみると、ログハウス風の落ち着いた雰囲気です。 今日は長距離ドライブでだいぶ疲れたので、元気を取り戻すべく、12オンス(およそ340グラム)のステーキを注文し、おなかいっぱい食べました。
宿に戻る前に、夜景の写真を撮るために、州議事堂やディーポに立ち寄りました。
中心街の路上に車を止めて夜の街を歩いていると、1年前の記憶がよみがえってきます。
ああ、確かに私はここに住んでいたんだ、この町で1年間を過ごしたんだ…
ボイジーで過ごした日々を懐かしく思い出すと同時に、今回こうしてボイジーを再訪できたことを、あらためてうれしく思いました。
研究集会の合間をぬっての「取材」
ボイジー滞在3日目の26日、研究集会が始まりました。
ほとんどの参加者は、アメリカ国内かヨーロッパから来た人たちで、日本からは、私のほかに、昨年も参加した(→日記3月27日参照)筑波大学の塩谷真弘さんと、北見工業大学のStefan Geschkeさんが参加しています。
参加者は全体で25人ほど。 塩谷さんとStefanは一般講演をしましたが、私は、出発前に多忙だったこともあり、今回は講演をしませんでした。
初日のプログラムは午後4時頃に終わり、夜はTomekの家でパーティ。 参加者は5時45分にモーテル前に集合し、大学のヴァンで移動することになっていますが、私は別行動で、郊外のタウンスクエアモールへ買い物に出かけました。
モールに来た目的は、ガイドの取材もさることながら、「お土産を買うこと」です。 両親も姉も私の滞在中にボイジーを訪れたことがあり、どんなお土産物があるかを知っているので、今回の出発前に「ボイジーに行ったら○○を買ってきて」という「注文」を受けているのです。
とりあえず、モール2階の「Made in Idaho or USA」に行き、アイダホポテトのスープやハックルベリージャムなどを購入。 そのあと、1階のグリーティングカードの店「Hallmark」でカードを買い集めました。
さらに、母のリクエストで、Doubletree Hotelに寄り道して、チョコチップクッキー(→日記6月27日参照)を1缶買いました。
買い物を終えてTomekの家に行ってみると、もうパーティが始まっていました。 ほとんどの参加者が集まって、大賑わい。 10時頃まで、お料理とおしゃべりを楽しみました。
翌日の講演は、朝10時から始まって午後3時半頃に終了。 夜はMarionの家でパーティですが、私はまた例によって、パーティが始まる前に「取材」に走りました。
市街中心部の見どころの写真を撮ったあと、市街地北部のハイド・パークへ。 さらにその北のキャメルバック公園へ行ってみました。
ラクダのこぶのような小高い丘に歩いて登ると、西に傾きかけた日を浴びる市街地のビルの群が見渡せます。 さちこさんは、ここからの市街地の眺めがとても好きだったとか。 市街地の南のディーポや、テーブルロックからの眺めとはまた違った、新鮮な眺めです。
モーテルに戻り、塩谷さん、StefanとともにMarionの家に向かいました。 今夜のパーティも盛況で、夜遅くまで集会参加者の皆さんと過ごしました。
ボイジーでの仲間との再会
28日。研究集会の最終日、そして、ボイジー滞在の実質的な最終日です。
研究集会は今日の午前で終わり。 午後は、TomekかMarionがランチパーティやエクスカーション(観光)を企画するようですが、私には、それより大事な用がありました。 ボイジーに滞在していた頃の知人と会うことです。
集会終了後、塩谷さん、Stefanと3人で市街地に出かけ、Beaneryで昼食をとったあと、すぐ近くのテーターズでお土産物を物色。 そのあと、車でテーブルロック山に登りました。
ウィリアムズバーグの土曜日に何をすべきか
いったん宿に戻って塩谷さん、Stefanと別れたあと、Nenoに連絡をとり、Chi Alphaの皆さんと再会しました。
メンバーの一人の家に、なつかしい顔ぶれが集まりました。 飲み物やスナックを手に、ざっくばらんな会話が始まります。 なんでも、つい昨日まで亜細亜大学短期大学部から24人の学生が留学プログラム(JCAP)で来ていて、一部の学生はChi Alphaとの交流もあったということで、JCAPの学生についての話も聞くことができました。
夕方、こんどはDeanと再会。 塩谷さんとStefanも誘って、4人で市街地の中華料理店「Yen Ching」に行きました。
AUAP(亜細亜大学アメリカプログラム)のスタッフだったDeanは、今回のJCAPでも学生の世話をしていて、昨日まではとても忙しかったとのこと。 JCAPの学生の方々の話や、昨年夏にDeanが日本を訪れたときの話などで盛り上がりました。
残念なことに、Mollyとは滞在中に連絡がとれず、会えませんでした。
29日、塩谷さんと同じユナイテッド航空の便でボイジーからサンフランシスコへ、そして成田へと帰っていきました。
たった5日間でしたが、ずいぶん欲張って「取材」に走り回ったこともあり、とても充実した滞在となりました。
1年間を過ごした街を再訪し、思い出に浸っただけでなく、レンタカーを駆使してあちこちに取材に行ったことで、1年間の滞在中には気づかなかった、ボイジーの新たな魅力を発見できたことが、今回の訪問のなによりの収穫です。
今回の「取材」旅行の成果は、「ボイジーの観光・ドライブガイド」のいたるところに活かされています。
00/03/30 第2次ボイジー取材旅行
昨年に引き続いて(→99年3月24日の日記参照)、今年もボイジー州立大学での研究集会に出席するため、3月30日(木)から4月4日(火)までの日程で、ボイジーを訪れました。
3月31日(金)〜4月2日(日)の3日間は研究集会で、実質的なフリータイムは4月3日(月)の1日しかなく、少々窮屈な日程でしたが、とても充実した訪問となりました。
ここでは、この訪問中の出来事を、「時系列的」ではなく「トピック別」に綴ってみました。
研究集会(BEST Conference)
まずは、今回の訪問の目的である研究集会の概要をお話ししましょう。
研究集会の正式名称は"Boise Extravaganza in Set Theory"といい、略して"BEST"と呼ばれています。 私の研究訪問中にお世話になったTomek Bartoszynski氏とMarion Scheepers氏が運営の中心となって、毎年3月下旬に行われていて、今年で9回目になります。
参加者は、主にアメリカ国内の数学者ですが、中には、ヨーロッパや南米からの参加者もいます。
私が参加するのは、研究訪問中の一昨年(→日記98年3月27日)、第1次取材旅行として日本から来た昨年に次いで、今回で3度目。 今回は日本から来たのは私一人でしたが、日本人の参加者としてはもう一人、一昨年にも参加したカリフォルニア大学アーヴァイン校大学院生の石宇哲也くんが来ていました。
私がボイジーに到着したのは、集会が始まる前日の30日午後でしたが、その日の夕方に、さっそく大学近くのPizza HutでWelcome Partyが行われ、ボイジーの街を懐かしむ暇もなく、研究集会の雰囲気に引き込まれてしまいました。
研究集会では、多くの参加者の招待講演、一般講演を聴いたほか、私自身も最終日に一般講演をしました。
会期中は、参加者全員が郊外のバッフェレストラン"JJ North's Grand Buffet"でのディナーに招待されました。 もちろん私もそれに参加し、ほかの参加者との交流を深めました。 (→BESTの写真)
Residence Innの贅沢な住まい
今回の宿は、大学に近い"Residence Inn by Marriott"にしました。
昨年は、大学の隣にあるモーテル"University Inn"に泊まりました。 そこは宿代も安く、部屋も十分快適なのですが、今回Residence Innを選んだのは、「取材」のためでした。 Residence Innは全室スイートの快適なホテルと聞いていて、メッセージボードでも話題になったことがあるので、ぜひ一度自分で体験して、ボイジーの観光・ドライブガイドに情報を載せたいと思っていました。
そして、いざ泊まってみての感想は… 「贅沢」の一言です。
まず、建物自体が普通のホテルやモーテルとは違います。 芝生の敷地に小さな建物が15棟ほど建っていて、それぞれの建物に2〜4部屋の宿泊室がある、という形です。 "Residence"というだけあって、ホテルというより「アパートに住んでいる」ような錯覚を覚えます。
部屋に入ってみると、これがまさにアパートの一室のようです。 フルキッチン、食器一式、リビング、暖炉まで備わっているスイートで、私が滞在中に住んでいたアパートよりも広くて快適です。 その気になれば「自炊」もできてしまいます。
噂通り「快適」ではありますが、私の想像以上の「贅沢さ」に驚きました。 今回のように、仕事の目的で一人で来て泊まるには、少々もったいなかったかもしれません。
もっとも、それだけ「贅沢」な宿だけあって、宿代もそれなりに高く、University Innの倍以上のお値段でした。 でも、それだけのお金を払う価値は十分にあると感じました。
左ハンドルはやっぱり怖い!?
昨年と同様、今回もボイジーの空港でレンタカーを借りました。
ご存じの通り、アメリカでは車は左ハンドル、右側通行です。
私が初めて車を運転したのはアメリカでしたし、昨年のボイジー訪問時は、日本での車の運転にあまり慣れていなかったので、左ハンドルの勘をすぐに取り戻せました。 しかし、その後日本でマイカーを所有して運転するようになり、右ハンドル左車線に慣れてしまったため、今回のレンタカードライブでは、予想以上にとまどいました。
「運転席が左側」「右側を走る」「ウィンカーとワイパーのレバー位置が逆」ぐらいのことは、ちょっと注意していればすぐに慣れてしまいます。 しかし、無意識とは恐ろしいもので、次のような点で、ついつい右ハンドルの癖が出てしまい、最後まで惑わされました。
- 車庫入れなどでバックするとき、左手でレバーを探してしまう (自分の車も借りた車もオートマチック車です)
- ルームミラーを見ようとして、左上に目を向けてしまう
- 車線の右寄りを走ってしまう
- 車が全くいない道路や駐車場内の通路で、つい左に寄ってしまう
合衆国50州のクォーター
ボイジーに着いた日に、さっそく大学内のBSUブロンコショップで買い物をしましたが、そのとき、お釣りのコインにちょっと変わったクォーター(25セント硬貨)が混ざっているのに気づきました。
これは、昨年から始まった「合衆国各州のデザインのクォーターを発行する」というプロジェクトによるものです。 数ヶ月に1州のペースで、今後十数年で50州すべてのクォーターがお目見えするそうですが、アイダホ州のはいつ発行されるのでしょうか…?
BSUブロンコショップで手に入れたのは、コネチカット州のもの。 その後、お釣りのクォーターに気をつけて、滞在中にマサチューセッツ州、デラウェア州、ニュージャージー州のものを手に入れました。
Spring Forward!
研究集会最終日の4月2日は、4月第1日曜日、夏時間(daylight saving time)の始まる日でした。
夏時間の調整は"Spring Forward, Fall Back"といって、春の移行日は、前夜に時計を1時間進めます。 つまり、移行日の朝はふだんより「1時間早く」やってくるわけで、睡眠時間が1時間削られてしまいます。
私にとっては、わずか5日間の滞在で、時差ぼけも治りきらない間に、またまた「時差」が発生するという、ややこしいことになりました。 しかも、私の一般講演は2日の最初に予定されていたので、夏時間の調整を忘れていて1時間遅刻、なんてわけにはいきません。
夏時間が始まると、当然のことながら、日の出も日の入りも極端に遅くなります。 ボイジーの場合、朝は午前7時過ぎにようやく明るくなり始め、夕方は8時になってもまだ明るいままです。
ボイジーの友人との再会
研究集会最終日のプログラムは午前中で終わり。 その日の午後は、Chi Alpha(→日記98年1月28日)のリーダーのNenoに連絡をとって、Nenoの家で行われたChi Alphaのパーティに参加しました。
Nenoの都合であまり長い時間はとれず、また、参加したメンバーもあまり多くありませんでしたが、1年ぶりの仲間との再会は、やはりうれしいものです。
もうひとりのボイジーの友人であるDeanは、この時なんと東京にいました。 仕事のため、3ヶ月の予定で亜細亜大を訪問中とのこと。 それで、私がボイジーへ出発する2日前の夕方、亜細亜大の近くで会うことができました。
今回の取材の成果
今回の訪問では、Boise on the Webのための取材を意識してはいましたが、昨年のようにあちこち走り回ることはせず、むしろ、気の向くままに歩いて、さまざまな風景の写真を撮ることに重点を置きました。
幸いにも、滞在中のお天気はずっと快晴。 おかげで、とてもよい写真がたくさん撮れました。
州議事堂、オールド・ボイジー、ハイド・パーク、タウンスクエアモールなど、お気に入りの場所で車を止めて、気ままに散歩しながら、何気ない風景や街並みをカメラに収めました。
折しも、ボイジーは桜の季節。 大学構内や州議事堂、Residence Innの近くにも桜の木が多くあり、濃いピンク色の花をいっせいに咲かせていました。 日本のソメイヨシノとはまるで趣が異なりますが、ボイジーの桜の景色も、捨てたものではありません。
アメリカの代表的な春の花である「ハナミズキ」(dogwood)も、白い花をいっぱいに開いていました。
今回初めて挑戦したのが、テーブルロック山への夜のドライブ。
山麓の住宅地を抜け、真っ暗な中、砂利道を登りつめて山頂に出ると、煌々と輝く十字架と、ボイジー市街のすばらしい夜景が私を迎えてくれました(→夜景)。
今回新たに訪れた場所で特筆すべきは、4月3日の午前に訪れた世界猛禽類センターでしょう。
アイダホ州南部は、世界最大級の猛禽類の生息地。 その鳥たちの生きざまに触れることができました。
春から夏にかけては、猛禽類の繁殖の季節。 ほんとうは、スネーク川猛禽類保護区へドライブしたかったのですが、今回は時間の都合で断念しました。 次にこの時期にボイジーを訪れたら、ぜひ双眼鏡を持って鳥たちに会いに行ってみたいと思います。
3日の昼には、ボイジー滞在中に一度も行く機会のなかった郊外の日本食レストラン「Tsuru」を初めて訪れました。 「ボイジーの観光・ドライブガイド」に、日本料理店として「Shige」と「Zutto」を載せていながら「Tsuru」を載せていないのは片手落ちでしたが、今回の取材でようやく載せることができました。
これらのほかにも、今回の訪問で新たに得た情報は、「ボイジーの観光・ドライブガイド」のいたるところに反映されています。
リキャットさん宅でのパーティ
4月3日の午後には、リキャットのアイダホ便りを書いてくださっているリキャットさんが、私をパーティに招待してくださいました。
このパーティのようすは第2回Boise on the Web懇親会に詳しく書きましたが、Boise on the Webの執筆協力者であるリキャットさんや、メッセージボードに参加してくださっているボイジー在住のMAYUさん、yujiさんにお会いできたのは、今回のボイジー訪問の最大の収穫でした。
また、リキャットさんとMAYUさんには、ボイジーの印象やアメリカでの生活について、いろいろとお話をうかがうことができました。 このお話の内容は、ボイジー在住者インタビューとしてまとめてあります。
テーブルロック山頂でボイジーにお別れ
ボイジー滞在最終日の4日は、午前11時頃に飛行機に乗らなければならず、自由に行動できる時間はほとんどありません。 それでも、ボイジーとの別れを惜しむため、朝早くホテルをチェックアウトして、車を走らせました。
最初に向かったのは、ボイジー川上流のラッキーピークダム。 滞在中によくサイクリングで行ったところです。
自分で車を運転してラッキーピークに行ったのは初めてでしたが、その道のりは意外に遠く、かなりスピードを出したつもりでも、片道15分はかかってしまいます。 これだけ長い距離をよく自転車で往復していたものだと、過去の自分自身に感心してしまいました。
ラッキーピークダムの公園で一息ついてから、次に目指したのは、テーブルロック山でした。 やはり、かつて自転車でよく登った道です。
ボイジーの街を見下ろすテーブルロックの山頂は、最後に訪れる場所にふさわしく思えたのです。
山頂には誰もいませんでした。
天気は快晴。 山頂の見晴らし台に立つと、ボイジーの街が眼下に一望できます。
雄大な風景を目の前にして、大きく息をしました。 そして、今回のボイジー訪問の「打ち上げ」として、思い切り「万歳」を叫びました。
その途端、なぜか無性に切なくなり、急に泣けてきてしまいました。
なぜだろう、たった10ヶ月ボイジーに滞在しただけの私が、今になってもこれだけボイジーにこだわり続けているのは…
ボイジーへの執着があるから、Boise on the WebというWebサイトを作ったのか、それとも、Boise on the Webを作ったことで、ボイジーへの執着がより強まったのか…
山を下って空港へ向かう道をドライブしながら、そんなことを考えていました。
ともかく、私にとって、10ヶ月のボイジー滞在が、それだけ大きな意味を持ち続けていることは間違いありません。
今後、私がボイジーに住むことは、たぶんないでしょう。 でも、これからもボイジーは私の心のふるさとであり続けるでしょう。 そして、今回こうして訪れたように、きっと、これからも折に触れて「帰ってくる」ことでしょう。
00/09/25 第3次ボイジー訪問記
旅立ち
2年前にボイジー州立大学への研究訪問から帰国して以来、ボイジーには2度訪れています。 1度目は昨年の春、2度目は今年の春でした。 しかし、いずれも旅行の目的は「研究集会(BEST conference)への出席」で、自由な時間はあまり長くありませんでした。
それで、一度は「仕事抜き」、つまり純粋にプライベートでボイジーに行ってみたい、そう思っていました。
今回のボイジー訪問を思い立ったのは、出発のおよそ1ヶ月前の8月下旬でした。 そもそものきっかけは、とりそびれた夏休みの消化を兼ねてどこかへ旅行しよう、というものでした。
折しも、ユナイテッド航空が「オンライン予約で4000ボーナスマイル」なるキャンペーンを実施中とのこと。 今夏はストライキによる欠航や遅延が多発するなど評判の悪かったユナイテッド航空ですが、4000マイルのボーナスは見逃せません。
かくして、「9月下旬の4泊6日ボイジー訪問」の計画決定。 さっそくオンライン予約で成田〜サンフランシスコ〜ボイジーの往復航空券を手配しました。
タイミングの悪いことに、5年前の夏に取得したパスポートはちょうど期限切れ(当時は10年旅券がなかった)。 慌てて新しいパスポートを申請し、出発の6日前に受け取りました。 国際運転免許証は今春のボイジー訪問時に取得したものがまだ有効です。
9月25日月曜日、未明に北見を車で出発して一路新千歳空港へ。 そこから飛行機で羽田へ、そしてリムジンバスで成田空港第1ターミナルへ着くと、出発のおよそ3時間前。 出国審査を抜け、リフレッシュコーナーのシャワールームで汗を流したり、免税店をひやかしたりするうちに、搭乗開始の時刻が近づいてきました。
午後4時15分、ユナイテッド航空852便はサンフランシスコに向かって飛び立ちました。
アメリカ渡航も4度目ともなればもう慣れたもの。 水平飛行に入り、機内食を食べ終わったら、あとはさっさと寝てボイジーでの活動に備えます。
サンフランシスコには朝10時頃に到着しました。 足早に国内線のゲートに向かい、ボイジーへの飛行機に乗り込むと、ほどなく出発。
窓側の座席で1時間ほどうとうとするうちに、アイダホの上空にやってきて、高度を下げ始めました。 赤茶色の大地に刻まれたスネーク川の峡谷が見えてくれば、ボイジーはすぐそこです。
ラッキーピークレークが見えてきたところで、大きく左に旋回。 ボイジー川、郊外の住宅地、フリーウェイ、ダウンタウンの街並み… なつかしい風景が窓外を流れたかと思うと、すぐに、ボイジー空港の滑走路に滑り込んでいきました。
宿は小さく、車は大きく!?
飛行機を降り、バゲージクレームで荷物を待つ間に、レンタカーの貸し出し手続きを済ませます。
今回借りた車は、mid-sizeクラス、シボレーのMalibuという車種。 荷物を受け取って駐車場に行ってみると、意外に大きな車です。 一人で乗るには少々もったいないかな、と思いましたが、いざ運転してみると、やはり快適です。 前回の訪問時には、レンタカー代を安くあげるために小さい車にした結果、3速オートマチックで馬力が弱く、パワーステアリングもない、運転しにくい車をよこされたのですが、今回は大満足。 この車のパワーは、後のスタンレーへのドライブでいかんなく発揮されました。
lapwaiアイダホ州とワシントン州の間の距離は何ですか?
今回の宿は、昨年春の訪問時と同じUniversity Innにしました。 前回は宿代を奮発してResidence Innのスイートに泊まったのですが、あまりに部屋が広すぎて、かえって落ち着かなかったのも事実。 一人旅なら「宿は小さく、車は大きく」がお得なのかな、と思いました。
チェックインを済ませて部屋に入り、さっそくシャワーを浴びて長旅の汗を流します。
まずは、何はともあれ、BSUの数学科を訪ね、ボイジー滞在中にお世話になったTomek Bartoszynski氏にごあいさつ。
そのあと、コンパクトカメラを片手にBSUのキャンパスやジュリア・デーヴィス公園を散歩しました。 Student Unionの売店で大学のグッズを物色したり、公園内のバラ園に咲き競うバラの花にレンズを向けたりしながら、気ままに歩きました。
その日の夜は、Tomek夫妻が私を夕食に招いてくれました。
Tomekの一人娘のKasiaは、今年からポートランドの大学に行っているため、今はTomekと奥さんのJoannaの二人暮らし。 3人で食卓を囲んで語り合ううちに、アイダホの夜は静かに更けていきました。
Go to Jail!
2日目の午前はショッピング、午後は郊外の旧アイダホ刑務所と植物園の探訪に費やしました。
午前中は、私が住んでいたアパートに近い大型スーパーマーケット"Albertsons"や、郊外のショッピングセンター「タウンスクエアモール」を訪れ、お土産などを買い集めました。
お昼は、Deanと会い、ダウンタウンの日本食レストラン"Shige"で昼食を共にしました。 今年の春に日本で会って以来、半年ぶりの再会です。
昼食後、最初に向かったのは、ボイジー川上流のラッキーピークダム。 「リキャットのアイダホ便り」でおなじみの、セーリングのできる湖です。 さすがに平日の午後とあって、訪れる人はまばらですが、それでも、湖面には3台ほどのモーターボートが波を蹴立てて走っていました。
次に、来た道を戻る途中にある旧アイダホ刑務所(Old Idaho Penitentiary)を訪れました。
入口で受付を済ませると、まずは刑務所の歴史を紹介するスライドを見せてくれます。 それから、1870年から100年ほど実際に使われていたという獄舎、作業室、死刑台などを歩いて見て回りました。
刑務所見学に続いて、お隣の植物園を散歩しました。
ボイジーの博物館については、ボイジーの観光・ドライブガイドで紹介していますが、実を言うと、これらすべてを私が実際に見学したわけではなく、中には入口の写真だけ撮って見学しなかったものもあります。 旧アイダホ刑務所と植物園も、内部を見学するのは今回が初めて。 せっかく自分でガイドを作ったのだから、ちゃんと自分でも見学しておきたいと以前から思っていたのですが、今回ようやくそれが実現しました。
そうこうするうちに、時刻は4時半をまわりました。 でも、夏時間実施中のボイジーの夕暮れは遅く、まだまだ日は高いです。 そのうえ、9月も終わりというのに、昼の気温は80度F(およそ27度C)近く、汗ばむほどの陽気です。
宿に戻る前に、Boise on the Webの写真素材コレクションを集めるべく、カメラを片手にダウンタウンを散歩しました。 とりわけ、今回注目したのは、パブリックアートの数々。 ボイジーに住んでいた頃には何気なく見ていただけでしたが、実は、ダウンタウンは屋外芸術作品の宝庫。 University Innで手に入れたガイドを頼りに、いくつかの作品を見つけ、レンズを向けました。
夕食は、再びDeanと共に、BSU近くのハンバーガーショップ"Big Jud's"へ。 最近のボイジーや日本のようすについて、ゆっくり語り合いました。
懐かしのBSUキャンパス
3日目は水曜日。 午後にTomekの研究グループのセミナーがあるというので、私も参加して、短時間の発表をさせてもらうことにしました。 当初は今回の訪問は「仕事抜き」のつもりだったのですが、やはり、Tomekと研究の話ができるせっかくの機会を逃す手はありません。
正午頃、昼食をとろうと宿からBSUの学生会館(Student Union)に向かう途中、数学・地球科学棟(Mathematics-Geoscience Building)の近くで誰かが声高に演説し、十数人の学生が集まっています。 近づいてみると… なんと、演説しているのはChi Alphaのリーダー、Ninoではありませんか! 毎週水曜日の昼には、この場所で学生と聖書に関するディスカッションをしているのだそうです。
演説が終わったところで、Ninoと共に学生会館(Student Union)に行き、昼食がてらラウンジで1時間近く話しました。 金曜の夜にはChi Alphaの例会があり、そこに行けばNinoをはじめ多くのメンバーに会えることがわかっていたのですが、残念ながら私は金曜の朝にボイジーを出発するスケジュールにせざるを得ませんでした。 それでも、こうしてNinoにだけでも会えたのは幸運でした。
2年前に訪問研究を終えて帰国して以来、BSUを訪れるのは今回が3回目ですが、前2回の訪問はいずれも春休み中(Spring Break)で、キャンパスは静まり返っていました。 でも、今回は秋学期(Fall Semester)の最中。 キャンパスは多くの学生が行き交い、活気に満ちています。 久しぶりに「賑わっているBSUのキャンパス」を見たことで、訪問研究で滞在していた頃の思い出がよみがえってきました。
3時頃にTomekのオフィスを訪れ、少しディスカッション。 その続きにセミナーに参加し、私の最近の研究テーマについて、1時間ほどの発表をしました。
今夜の夕食は、学生会館2階のカフェテリア"Table Rock Cafe"でとることにしました。 ここも、訪問研究中には何度も利用しましたが、春休み中は休業のため前2回の訪問では利用できず、2年ぶりになります。
入口でお金を払ったあとは、アントレ、サラダ、スープなど何でも取り放題。 料理だけではあきたらず、ついついデザートやアイスクリームにも手を出し、おなかいっぱい食べました。 料理は別にとりたてて「おいしい」わけでもないのですが、滞在中の日々がなつかしく思い出され、妙にうれしい気分になりました。
夕食を終えても外はまだまだ明るいです。 腹ごなしに、ジュリア・デーヴィス公園を散歩しながら宿に戻りました。
スタンレーへの日帰り強行軍ドライブ!
4日目。 ボイジー滞在の実質的な最終日は、アイダホシティ〜スタンレー〜ケッチャムへの日帰り長距離ドライブに費やしました。 今回の訪問のメインイベントです。
行路の総延長はおよそ350マイル(560km)、その半分ほどは山道で、予想される運転時間は7時間! 本来ならスタンレーかケッチャムで1泊すべき行程なのでしょうが、それを日帰りしようという強行軍です。
ドライブの目当てのひとつは「温泉」です。 アイダホの温泉については、リキャットのアイダホ便りでもたびたび紹介されていますが、私は今まで訪れたことがありませんでした。 それで、今回のボイジー訪問では当初から温泉に行くつもりで、そのために水着を持参していたのでした。
朝8時。 夜明けとともにボイジーを離れ、21号ハイウェイをアイダホシティに向かいます。
ラッキーピークレークを過ぎると、しばらくは荒涼とした枯草色のなだらかな丘の上を走り、やがて谷間の川沿いの道に入っていきます。 このあたりの道は、すでに2回、3年前と2年前に通っていますが、自分で運転するのは初めてです。
9時頃にアイダホシティに到着。 町の入口に車を止めてみましたが、町はひっそりと静まり返っています。
さらに21号ハイウェイを北に向かうと、峠への登り道にかかります。 つづら折りの坂道を登って標高6118フィート(1860メートル)のMores Creek Summitを越えると、木々もまばらな焼け野原に出ました。 1989年の山火事で焼けた地域です。 今年の夏は全米で山火事が多発し、アイダホでもかなりの被害が出たとのことで、日本とは違う自然の大きさを感じます。
谷底への下り坂を一気に駆け下りて、ローマン(Lowman)という小さな町へ。 さらに、そこから6マイルほど先へ行くと、道路沿いの川から湯気が上がっているのが見えました。 カーカム温泉(Kirkham Hot Springs)です。
川沿いのピクニックエリアに車を止め、まずは河原にようすを見に行きます。 山肌から滝のように熱い湯が流れ落ち、河原にできた天然の露天風呂に注ぎ込んでいます。 湯に手を浸してみると、ちょうどいい湯加減。 さっそく車に戻って水着に着替え、湯に浸かりました。
高原の朝の空気は少しひんやりとしていて、温泉の湯がいっそう心地よく感じられます。
休日には多くの人が訪れて賑わうようですが、平日とあって訪れる人は少なく、私のあとから女性が一人入浴に来ただけで、ほとんど独り占め。 のんびりと露天風呂を堪能できました。
身も心も温まったところで、さらに21号ハイウェイを先へ。 林の中の峠道をひたすら登り、標高7056フィート(2145m)のBanner Summitを越えると、風景は林から草原に変わり、視界が一気に開けました。 行く手にギザギザの山の稜線が見えています。 ソートゥース山地(Sawtooth Range)の山々です。
ソートゥースの山々を望む展望台に立ち寄って一休み。 さらに先へ行くと、やがて、小さな町が見えてきました。 スタンレー(Stanley)の街並みです。
スタンレーは人口69人の小さな町。 21号ハイウェイ沿いにロッジや商店がまばらに並んでいるだけで、「え、これが?」と思ってしまうような街並みです。 標高はおよそ2000m。 ボイジーより1000m以上高い「高原の町」です。
時計を見ると午後1時。 ボイジーを出発してから5時間ほど経っています。
何はともあれ、まずは腹ごしらえ。 町の端にあるウェスタン風のレストランに入り、「今日のおすすめ」のボードに書かれたチキンサンドイッチを注文しました。
テーブルのメニューにはスタンレーの町の歴史が記されていました。 それによると、かつてはゴールドラッシュで繁栄したものの、現在では人口が流出して、町の中心は少し離れたローアースタンレー(Lower Stanley)に移っているとのことです。
21号ハイウェイはスタンレーが終点。 町外れの75号ハイウェイとの交差点を右折してしばらく南へ行き、途中から脇道に入ってレッドフィッシュレーク(Redfish Lake)を訪れました。 ソートゥースの山々を映す、林の中の静かな湖です。 周辺はオートキャンプ場になっていますが、シーズンオフなのか、ほとんどのキャンプサイトは閉鎖されていて、訪れる人もわずかです。
75号ハイウェイをサーモン川(Salmon River)に沿って南に向かいます。
広々とした平原を走り抜け、いくつかの集落を通り過ぎると、道は川から離れて峠に向かいます。 登り坂の途中の駐車帯に車を止めて、見晴らし台から山々を眺めると、遠くの山のほうがなにやら煙って見えます。 山火事のようです。
峠道を登りつめると、今日の行路の最高地点、標高8701フィート(2645m)のGalena Summitに出ました。 ここから先は、つづら折りの坂道をケッチャム(Ketchum)まで一気に下っていきます。
ケッチャムに着いたのは午後3時半頃。 ボイジーを出発して以来、初めて「町らしい町」に出会い、なんとなく安心しました。
標高2000メートルのスタンレーは昼でもとても涼しかったのですが、ケッチャムまで下ってくるとけっこう暑いです。 とりあえず、大通りに面したスターバックスコーヒーに入り、アイスラッテを注文してしばし休憩します。
午後4時。 再びハンドルを握って、ケッチャムを出発しましたが、そろそろ疲れと眠気が出始めて、運転するのがつらくなってきました。
紅葉の始まりかけた林の中を30分ほど走り、ヘイリー(Hailey)という町を抜けると、そこから先は見渡す限りの平原。 US20号ハイウェイの交差点の手前で、案内標識に「Boise 130」の文字を見つけ、「ゴールが見えてきた!」と、少し元気を取り戻しました(130マイル=およそ209km)。
交差点近くの休憩所(Rest Area)で小休止。 自動販売機の冷たい炭酸飲料で眠気をさまし、荒野を一直線に貫くUS20号ハイウェイをひたすら西へ走ります。
午後6時過ぎ、マウンテンホーム(Mountain Home)の郊外からフリーウェイI-84に入りました。 いよいよラストスパート! ボイジーを目指してアクセルを思い切り踏み込みました。
午後7時、道路沿いにマイクロンの工場が見えました。 ボイジーへの入口です。
11時間の長い長い道のりでした。 少々無謀な単独日帰りドライブでしたが、なんとか無事に終わりました。
宿に戻ってみると、リキャットさんからFAXでメッセージが届いていました。
実は、滞在中に私からも連絡を試みたのですが、リキャットさんご自身がご多忙だったのと、メッセージの行き違いが起こったせいで、残念ながらお会いする機会は得られませんでした。
FAXの文中に「温泉には行かれましたか?」というくだりを見つけて、思わずにっこり。
帰路
金曜日。 朝8時頃に宿をチェックアウトし、空港に向かいました。
空港でレンタカーの返却手続きを済ませ、ユナイテッド航空のカウンターでチェックインしようとすると、係員がなにやら首を傾げています。 いわく、「サンフランシスコ行きの遅延のため、成田行きへの乗り継ぎ時間がごく短くなる。それでもよいか?」
サンフランシスコ空港は今まで何度となく乗り継ぎで利用してきましたが、ボイジーからサンフランシスコへの便は、定刻通りに飛んだためしがありません。 そのせいで、一度は親子3人して乗り継ぎ便に乗り遅れてしまいましたし、今年春にも、地上係員の先導で国際線ターミナルまで早足(!)で歩かされました。 どうやら、今回もその「サンフランシスコ走り」の再来になりそうです。
サンフランシスコ行きの便は、定刻より50分ほど遅れて、10時半頃に出発。 たまたま、マイクロンへの出張から帰るという2人の日本人の会社員と同席しました。 彼らも私と同じ成田行きに乗り継ぐとのことです。
サンフランシスコには11時過ぎに到着。 案の定、黒人女性の地上係員が私たち3人を待っていました。 名乗り出るなり、彼女はトランシーバーを片手に早足で私たちを先導します。 黙々と長い廊下を歩いて国際線ターミナルに着くと、手荷物検査の優先ゲートに通され、すぐさま搭乗ゲートから機内に導かれました。
11時半頃、ユナイテッド航空853便はサンフランシスコを出発しました。 成田まで11時間弱のフライトです。
海外旅行に慣れていなかった頃は、11時間とか12時間のフライトと聞いただけで憂鬱な気分になったものでした。 でも、海外渡航はこれで7度目で、だいぶ旅慣れてきたおかげで、長時間のフライトでも余裕を感じられるようになってきました。
土曜日に日本に着くフライトとあって、エコノミークラスの乗客の大半は日本人の観光客で、客室乗務員も半分は成田ベースの日本人。 搭乗した時点で、もう日本に帰ってきたような気分です。
9月30日土曜日、午後2時半頃に成田空港に到着しました。
入国審査と税関を足早にくぐり抜けて日本に入国しても、私の旅はまだまだ終わりません。
リムジンバスで羽田空港へ移動し、新千歳行きの飛行機を待つ間に、空はすっかり暗くなってしまいました。 新千歳に着いたのは午後7時半。 さらにそこから自分の車を運転し、休憩や仮眠を繰り返しながら北見へ。 やっとの思いで自宅にたどり着いたときには、日曜日の午前1時を回っていました。
ほとんど気まぐれで思い立ち、無計画で旅立った行き当たりばったりのボイジー訪問。 現地での行動も、スタンレーへのドライブ以外はことさらに目新しくもありませんでしたが、それでも、私にとっては充実した旅行となりました。
ボイジー滞在中に大いにお世話になったTomek、Dean、Ninoの3人に会えたこと、活気づいたBSUのキャンパスを再訪できたこと、ダウンタウンや公園を歩いて新たな風景を発見できたこと… 平凡かもしれないけれど、どれも私にとっては貴重な体験です。
いつ訪れても、何度訪れても、そのたびに新しい何かに出会える… 私にとって、ボイジーはそんな町のように思えます。
01/03/20 第4次ボイジー訪問記
毎年3月下旬は、ボイジー州立大学数学・計算機科学科で研究集会「BEST Conference」が行われる季節。 今年も、一昨年、昨年に引き続き、研究集会出席のためにボイジーを訪れました。
今年のBEST Conferenceには、私の大学院生時代の恩師である大阪府立大学の加茂静夫先生が参加され、奥様とともにボイジーにおみえになりました。 もちろん、お二人ともボイジーを訪れるのは初めて。 元ボイジー在住者の私は、研究集会前後には「現地ガイド」として、加茂夫妻にボイジー周辺をご案内しました。
ボイジーでの第一夜
3月20日火曜日の夜、ユナイテッド航空838便で成田空港からサンフランシスコに向かって出発しました。
サンフランシスコには火曜日の午前11時頃到着。 昨年12月にオープンしたばかりの新国際線ターミナルで入国審査・税関検査を受け、国内線に乗り継ぎました。
国際線フライトの疲れもあって、ボイジーへのフライトの大半は夢の中。 目が覚めると、眼下はスネーク川の峡谷、そして大きな円形のポテト畑… やがてボイジー川上流のラッキーピークダムが現れ、ボイジー郊外の新興住宅地が見えてきたかと思うと、ほどなくボイジー空港の滑走路に滑り込みました。
どのようにナイアガラの滝は作られた
空港に降り立ったら、まずは例によってレンタカーの手配。 荷物を受け取って車に乗り込み、「定宿」のUniversity Innに向かいます。
チェックインを済ませて一息ついてから、数学・計算機科学科を訪ねてTomekにごあいさつ。 研究集会が始まるのは金曜日で、水・木曜日の2日はいちおうフリータイム。 Tomekと奥さんのJoannaは、水曜日の夜に私をディナーに招いてくれました。
その日の夕食は、学生会館(Student Union)のカフェテリア「Table Rock Cafe」でとりました。
Table Rock Cafeに入ってみると、日本人らしき学生の姿があちらこちらにみられます。 もしや… と思って話しかけてみると、案の定、AUGP(亜細亜大学グローバルプログラム)の派遣学生の方々でした。 彼らは2月上旬に始まった7週間の留学プログラムを終えて、2日後の木曜日にボイジーを離れるとのこと。 3年前にBSUでのAUAP(亜細亜大学アメリカプログラム)が終了した後も、亜細亜大学とBSUとの交流が脈々と続いていることをあらためて実感しました。
夜、ダウンタウンのコーヒーショップ「Flying M」に行ってみると、二人のアメリカ人青年がテーブルに「碁盤」を広げて会話しているのが目に留まりました。 すると、一人が「アジア人」の私を見るなり「どうだ、プレイしないか?」と誘うではありませんか! なんでも、彼はアジアの文化に興味を持ち、すでに何度も日本や中国を訪れているとのこと。 私は囲碁に関しては素人なのですが、誘われるままに彼の向かいに座り、対局を始めてしまいました。
結果は、言うまでもなく私の大敗。 それでも、打ち始めるとついつい真剣になり、コーヒーが冷めるのも構わず盤面に集中してしまいました。
スネーク川再訪
一夜明けた水曜日の朝。 フリータイム一日目の午前は、スネーク川猛禽類保護区へドライブしました。 研究滞在の帰国直前(→日記98/07/09)に訪れて以来、ほぼ3年ぶりの再訪です。
ダウンタウンからフリーウェイに入り、ボイジーへの通勤の車で渋滞する対向車線を横目に見ながら隣町のメリディアン(Meridian)へ。 フリーウェイを下りてハイウェイを南に向かい、キューナ(Kuna)という町に入ると、こんどはスクールバスを待つ子供たちの姿が目につきます。 町を通り抜け、茫漠たる荒野の一本道をひたすら走ることおよそ30分。 スネーク川の峡谷の見晴らし台、Dedication Pointに到着しました。
見晴らし台に立つと、目の前に雄大なスネーク川の峡谷が広がります。
この流域一帯は猛禽類保護のための自然環境保全地区で、峡谷の断崖はハヤブサなどの営巣に絶好の場所です。 猛禽類の繁殖の季節にはまだ早いとみえて、ワシやタカなどの大きな鳥の姿はありませんが、それでも、谷間を舞い飛ぶ鳥の姿が時折見られました。
次に訪れるときには、もう少し遅い猛禽類の繁殖期に、双眼鏡持参でバードウォッチングを楽しみたいものです。
谷底に下りてスワンフォールズダムを見学したのち、帰りは下流のCelebration Parkや、メルバ(Melba)、ナンパ(Nampa)といった町のほうを大回りして、昼過ぎにボイジーに戻ってきました。
タウンスクエアモールのフードコートで昼食を済ませてから、Tomekのオフィスを訪ね、1時間ほどディスカッション。 そして、その日の夜はTomekの家でディナーをごちそうになり、夜遅くまでTomek、Joanna夫妻と語り合いました。
加茂夫妻とともにボイジー近郊ドライブ
木曜日の朝、University Innで加茂夫妻とご対面。 Tomekのオフィスにご案内して挨拶をすませた後、加茂先生がレンタルした車でダウンタウンに繰り出しました。
午前中は、州議事堂や8th Street、グローブなどを散歩したり、お土産物屋「テーターズ」でポテト関係のグッズを物色したり。 8th Streetのイタリアンレストラン「Gino's」で昼食を済ませ、午後は車で郊外へ出かけました。
まずは、テーブルロック山頂からボイジーの町を一望。 そのあとは、ボイジー川の上流のラッキーピークダムを訪れました。 春は雪解けでダムの水が増えると思いきや、山上の雪解けにはまだ早いのか、それとも今年の冬は雪が少ないのか、ダムの水位はかなり下がっていました。
夕食は、加茂夫妻とともにダウンタウンの中華料理店「Yen Ching」にて。 おなかいっぱい食べたあとは、「Flying M」でコーヒーを飲みながら歓談しました。
BEST Conference
金曜日朝から日曜日昼までは、ボイジー訪問の「本命」である研究集会「BEST Conference」です。
金曜日の会場は、「Simplot/Micron Technology Center」という建物の中のプレゼンテーションルーム。 ノートパソコン画面をプロジェクターで投影してプレゼンテーションをする講演者もいました。
昨年までは、毎晩参加者を招いてのウェルカムパーティが催されていたのですが、今年は金曜夜のソーシャルイベントはありませんでした。
ところで、金曜夜といえば、Chi Alpha(→日記98/01/28)の例会の日。 7時半頃に会場の教室を訪れ、例会に参加しました。
Chi Alphaのメンバーの一部は一昨年や昨年の訪問時にも会っていますが、例会に参加するのは研究滞在の時以来ほぼ3年ぶり。 学生のメンバーは大半が入れ替わっていましたが、NinoやTammy、Kelly、Aaronといった昔からのメンバーは私を大いに歓迎してくれました。 3年前には赤ん坊だったNinoの長女Emmaがすっかり大きくなっていたり、Kellyはすでに結婚して大学院修了を間近に控えていたり、Aaronも婚約者を伴って例会に参加していたりと、私が帰国した後の3年間の変化に驚きの連続でした。
土曜日と日曜日の会場は、お馴染みの数学・地球科学棟(Mathematics-Geoscience Building)でした。
加茂先生と私の講演は、いずれも土曜日の午後に無事終了。 今回最大の仕事を終えて、安心して土曜日夜のウェルカムパーティに参加できました。
パーティは例によってTomekの家で行われました。 30人近い集会参加者のほとんどが集まり、夜遅くまで料理とおしゃべりを楽しみました。
温泉に行こう!
研究集会は日曜の昼で終了しました。
加茂夫妻はあと数日ボイジーに滞在されますが、私は翌月曜日にボイジーを離れます。 つまり、「現地ガイド」のおつとめができるのもあと半日。 そこで、最後の観光案内として、加茂夫妻を温泉にお連れすることにしました。
午後1時、私の運転でUniversity Innを出発。 大学近くの「Wendy's」で腹ごしらえを済ませてから、21号ハイウェイをひたすら北に向かいました。
途中のアイダホシティで小休止した後、峠への登り道にさしかかりました。 アイダホの山の春はまだ浅く、沿道の林にはわずかに雪が残り、路面も雪解け水で濡れています。 標高およそ1800メートルのMores Creek Summitを越え、一気に谷底に下りてローマン(Lowman)という町へ。 そこから川沿いを6マイルほど行くと、カーカム温泉(Kirkham Hot Springs)のピクニックエリアに出ました。 ボイジーから2時間ほどのドライブです。
日曜日の午後とあって、温泉水の流れ込む天然の岩場のプールは多くの訪問者で賑わっていました。 私たちもさっそく水着に着替えて岩場に下り、温泉の湯に身を沈めました。
流れ込む湯はけっこう熱いので、ほどよい湯加減のポイントを探します。 プールはとても浅く、手頃な岩を枕にして仰向けになると、快適なことこの上なし! アイダホの自然の恵みが体中にしみわたります。
どのぐらい時間が経ってからか、3人とものぼせ気味になったところで湯から上がり、帰路につきました。
帰りは、峠を避けてローマンから川沿いに西に向かい、バンクス(Banks)という町へ、そこから55号ハイウェイを一気に南下して、2時間強でボイジーに戻ってきました。
私にとってのボイジー訪問最後の夜は、加茂夫妻とともにステーキレストラン「Lock Stock & Barrel」で打ち上げ。 長距離ドライブで少々疲れていた私は、12オンス(およそ340グラム)のサーロインステーキを平らげて元気を取り戻しました。
シアトルを経て日本へ
月曜日、朝9時頃にUniversity Innをチェックアウトして空港へ。 レンタカーを返却し、ユナイテッド航空のカウンターでチェックインを済ませてゲートに向かいます。
帰りはいわくつきのサンフランシスコ空港(→日記00/09/25)を避けて、ボイジーからシアトル・タコマ空港乗り継ぎで成田へ向かいます。 ところが、今度はよりによってシアトル行きのフライトに遅延が生じ、乗り継ぎの余裕はわずか10分! 「サンフランシスコ走り」の次は「シアトル走り」か、と覚悟して、シアトル行きの飛行機に乗り込みました。
シアトルへのフライトは30人乗りのターボプロペラ機。 ボイジー空港を離陸すると、窓外にはトレジャーバレー(ボイジー都市圏)の広大な平野が広がります。 後ろ髪引かれる思いを少々残しつつ、2時間ほどのフライトに身を委ねました。
シアトル・タコマ空港に降り立つと、成田行きの出発時刻まであと数分! 地上職員の「お出迎え」を覚悟しつつターミナルに出ると、私を迎えてくれたのは地上職員ならぬ、「成田 A**ゲート」と日本語で大書されたサインボードでした。 見ると、成田行きの搭乗ゲートはすぐ目の前。 搭乗を待つ日本人の行列に混じり、難なく乗り継げました。
結局、成田行きのユナイテッド航空875便は、定刻を大幅に遅れて離陸。 フライトはきわめて順調で揺れも少なく、翌火曜日の夕方、成田空港に無事到着しました。
今回の訪問で最大の心残りは、リキャットさんはじめ、Boise on the Webが縁で知り合えたボイジー在住の方々とお会いできなかったこと。 次にボイジーを訪れるのはいつになるかわかりませんが、その時には何らかの形で「Boise on the Web懇親会」を実現したいと思っています。
01/09/25 第5次ボイジー訪問記
昨年9月の第3次ボイジー訪問に続いて、今年も職場の夏期休暇を利用して、9月25日〜10月2日の6泊8日でボイジーを訪れました。
9月25日火曜日、関西空港からサンフランシスコ行きUA810便に乗り込みました。 2週間前に起きたニューヨーク・ワシントンDCへの航空機突入テロ事件の影響は大きいようで、エコノミークラスの乗客は3〜4席に1人程度。 午後6時、ボーイング747-400は巨大な機体を持て余したまま、夕暮れの関西空港を飛び立ちました。
サンフランシスコまでは10時間弱のフライト。 1回目の機内食を食べ終わるなり、窓側の3席を占領して横になり、睡眠をとりました。
サンフランシスコには、予定より少し早く、午前11時半頃に到着。 足早に入国審査を通過し、国内線の乗り継ぎカウンターに向かいます。 当初のスケジュールでは午後7時頃の便に乗り継ぐ予定でしたが、国際線の早着のおかげで前便への変更に成功。 すぐさま国内線ゲートに向かい、午後1時頃、ボイジーに向かって出発しました。
1時間ほど順調に飛行を続け、降下を始めたとたん、窓外は灰色の雲に覆われ、機体は大きく揺れ始めました。 ボイジーにしては珍しい悪天候です。 飛行機は大揺れのまま着陸コースに進入し、3時半頃に小雨模様のボイジー空港に着陸しました。
まずはレンタカー会社のカウンターに向かい、車を確保。 そして、「定宿」のUniversity Innに直行し、チェックインしました。
とりあえず、すぐ近くのBSU数学科に赴き、TomekとJoannaにあいさつ。 Tomekは「明日来るって言ってたんじゃないのか?」と驚いたようすでしたが、「予定より早い飛行機に乗れたんだ」と話すと「それはよかった」と納得。 今回もまた、夕食に招待してくださるとのことで、「2日後の木曜夜に」と約束しました。
しばらくBSUキャンパスを散歩してから宿に戻り、休憩。 夕食は近くのWendy'sで簡単に済ませ、早々に床に就きました。
水曜日。 小雨模様の昨日とはうって変わって快晴です。
ホテルのラウンジで朝食をとりながらテレビに目を向けると、CNNが"America's New War"と題してテロ事件関連のニュースをしきりに報じています。 しかし、ボイジーの町の様子を見る限り、いたって普通で、テロ事件の影響は感じられません。
午前中は、コンパクトカメラを片手にBSUとジュリア・デーヴィス公園を散歩。 学生たちの活気に満ちあふれるキャンパスや、色とりどりのバラの花が咲き競うジュリア・デーヴィス公園のバラ園、それにボイジーツアートレインの発車間際のようすなどをカメラに収めました。
それにしても、晴れた日のボイジーの日差しはとても強いです。 日差しをしのぐために、BSUのStudent Union 1階のBronco Shop(売店)で、BSUのロゴ入り帽子を買いました。
Student Unionでは、学生団体ブースの一角にベトナム人留学生が"Help Make 1000 Cranes"というブースを出しています。 NYテロ事件の被害者を励ますために千羽鶴を折ろう、ということで、英語と韓国語による折り方の説明書も備えられていました。 私も一羽貢献しましたが、折り紙が白い上質紙を手作業で切ったもので、正確な正方形でないのはいただけません。
Student Unionの中を歩いていると、Chi Alphaのリーダー、Ninoに出会いました。 コーヒーを飲みながら、ラウンジのソファでしばらく歓談しました。
その後、2階のテーブルロックカフェで昼食を済ませ、宿に戻って一休み。
その日の夕方は、ボイジーにお住まいのウェスト元子さんのご招待をお受けして、お宅にうかがいました。 ウェストさん一家はタウンスクエアモールに近いアパートにお住まいで、アメリカ人のご主人Richard氏と2人のお子さんの4人家族。 タコスをごちそうになったり、ボードゲームに興じたりするうちに、夜は更けていきました。(→関連Webページ)
木曜日の日中は、疲れと時差ぼけのせいであまり元気が出ず、宿の近辺でのんびり過ごしました。 昼食は再びテーブルロックカフェにて。 午後はTomekのオフィスを訪れ、しばらくディスカッションをしました。
夜はTomekのお宅に招かれ、ディナーをごちそうになりました。 ボイジーを訪れるたびに私を家族のごとく迎えてくれるTomek, Joanna夫妻には大感謝です。
金曜日の午前中はダウンタウンを散策。 パーキングメーターに車を置いて、碁盤目状の街路を気の向くままに歩きます。
ボイジーの魅力のひとつは、ダウンタウンの街並みの美しさにあります。 特に、私自身がかつてダウンタウンエリアに住んでいて、通勤途上にしばしば自転車でグローブの広場を横切ったりしていたためか、私にとっては、ボイジーといえば「ダウンタウン」のイメージが強いです。 それだけに、ダウンタウンを歩くたびに、ボイジーに住んでいた1年間を思い出すとともに、ボイジーという町の魅力をあらためて感じます。
お昼は、最近新しくできたという日本料理店「Sakura」を探しに、隣町のイーグル市方面へ。 ボイジーの市街地を離れ、ヒューレット・パッカード社の前を過ぎたところのショッピングセンターに入ってみると、あっさり見つかりました。 さっそくお店に入り、Sashimi Lunch Boxを注文して昼食にしました。
午後は、イーグルからさらにハイウェイを北に向かい、温泉を目指します。
バンクス(Banks)という町でハイウェイを離れて川沿いの道に入り、しばらく行ったところに、小さな温泉を見つけました。 河岸の斜面の途中につくられたプールで一人の女性が湯を浴びていましたが、プールは狭いうえに、湯があまりきれいでなく、温度も低そうだったので、ここでの入浴はあきらめ、カーカム温泉を目指してさらに東に向かいました。
カーカム温泉は今回で3度目。 こちらは湯量豊富で、温度は少々熱すぎるぐらい。 さっそく水着に着替えて、川べりのプールにゆっくり身を沈めました。 平日とあって訪れる人は少なく、ゆったりと入浴できました。
ボイジーに戻ってくると、日は西に傾きかけています。
夜は、Chi Alphaの例会に顔を出し、NinoやAaronなど顔見知りのメンバーに再会。 そのあと、再び一人でダウンタウンに繰り出し、夜の街並みを歩いてみました。 金曜日の夜の繁華街は、多くの若者で賑わっていますが、治安はきわめて良好で、安心して歩き回ることができます。 夜の街並みの写真を少し撮って、コーヒーショップ「Flying M」で一服した後、宿に引き上げました。
土曜日。 正午にDeanと落ち合い、Vista Avenueの中華バッフェ「Din Fung」で昼食をとりながら歓談しました。 以前はDeanはBSUでWeb関係の仕事をしていましたが、今はボイジーの音楽団体専門ツアーコンサルタント会社でガイドとして働いていて、最近ではハワイのオーケストラを浜松でのコンクールに案内する仕事もしたとか。 楽団員と彼の日本での珍道中などの話題で盛り上がりました。
Deanと別れた後、こんどはNinoの招待を受けて、市街南東部のNinoの家を訪れました。 初めて会ったときは赤ん坊だったNinoの長女Emmaはすっかり大きくなり、弟のJonathanもすでに言葉を話せるようになっていました。 1時間半ほどの短い間でしたが、Ninoが作ってくれたパスタを食べたり、ボイジーや日本のようす、お互いの家族のことなどを話したりして、楽しい時間を過ごしました。
5時頃にNinoと別れて宿に戻りましたが、中華とパスタのおかげでお腹いっぱいです。
夜は16th Streetのコインランドリーに洗濯に出かけました。 仕上がりを待つ間に、近くのスターバックスコーヒー(17th & State)に歩いて、コーヒーとマフィンを注文して夕食代わりにしました。
ボイジー滞在の実質的な最終日となる日曜日は、アイダホワインカントリーとオレゴン州サッカークリーク(Succor Creek)州立公園へのドライブに費やしました。
10時頃にボイジーを出発し、フリーウェイを西へ。 ナンパ(Nampa)でフリーウェイを下りて55号ハイウェイをさらに西へ進むと、あたりは一面の畑。 スネーク川に近づいたところで道は南に向きを変え、河岸へのゆるやかな下り坂を行くうちに、道路脇に「Ste. Chapelle Winery」の案内看板を発見。 脇道に入ってしばらく行くと、サントシャペルワイナリーの広いブドウ畑の前に出ました。
ブドウ畑の奥のエントランスハウスを訪ねると、主人が工場内を案内してくれました。 主人は、ワインの生産工程の解説を交えながら、屋外のブドウ選果装置やタンク、低温に保たれた工場内のタンクや樽、瓶詰め機械などを順に説明してくれました。
日本へのお土産として、エントランスハウスの即売所で白ワインのボトルを買い求め、ワイナリーをあとにしました。
スネーク川を越えてマーシング(Marsing)という町を過ぎると、そこから先は枯草色の荒野の中を行きます。 95号ハイウェイを南西に進むと、道は平野から山あいへの登り道へ、そして突然現れる"Welcome to Oregon"の看板! 峠を越えて長い坂道を下り、谷間に入ったところで、ハイウェイから北に分かれる砂利道に分け入ります。 人っ子一人いない荒野の一本道を、砂ぼこりを豪快に蹴立てて走っていきます。
途中で山あいに向かう脇道に入り、Leslie Gulchという山岳地帯へ寄り道。 枯草色の低木に覆われた、なだらかな山々の続く壮大な風景を楽しみながらのドライブです。
Leslie Gulchからもとの道に戻って、さらに砂利道を北へ。 サッカークリーク州立公園に入り、道はしだいに切り立った岩肌の間の峡谷に下りていきます。
谷底の川べりに着くと、そこはキャンプ場になっていて、数家族のキャンプ客が集まっていました。 つい先ほどまで、道の両側は人気のない枯草色の荒野でしたが、ここには川があり、緑があり、峡谷があり、そして人もいます。 急に孤独感から解放されたせいか、峡谷の風景がいっそう美しく思えました。
谷間の道をさらに進んでいくと、いつしかもとの荒野に戻り、再び砂ぼこりを蹴立ててひた走ります。 やがて、その荒野が放牧地や農地に変わったかと思うと、突如目の前に19号ハイウェイが現れました! これで砂利道とはお別れです。
19号を東へ走ると、ほどなく"Welcome to Idaho"の看板が出現。 ホームデール(Homedale)、マーシングを経てナンパからフリーウェイに入り、午後6時頃にボイジーに戻ってきました。
ボイジーでの最後の夜は、ステーキレストラン「Lock Stock & Barrel」で打ち上げ。 16オンス(8オンス2切)のポークチョップを注文し、サラダバーをお代わりしてたくさん食べました。
10月1日月曜日、朝9時頃にホテルをチェックアウト。 Tomekのオフィスに立ち寄ってあいさつしてから、空港に行ってレンタカーを返却し、飛行機のチェックインを済ませました。
復路の予約は、今までのボイジー訪問で貯まったマイレージを使ってアップグレード済み。 国内線はファーストクラス、国際線はビジネスクラスです。
前回のボイジー訪問では、シアトル乗り継ぎで成田に帰りましたが、今回はいわくつきの(→日記00/09/25)サンフランシスコ空港乗り継ぎです。 接続時間がやや短いので、遅延の心配も少しありましたが、ボイジーからサンフランシスコへのフライトは定刻通り11時30分に出発。 「サンフランシスコ走り」は杞憂となりました。
ファーストクラスの革張りのシートでくつろぐうちに、サンフランシスコに到着。 国際線ターミナルのセキュリティゲートを通ってゲートにたどり着くと、すぐに搭乗開始となり、ビジネスクラスの一端に座を占めました。 テロの影響か、ビジネスクラスの乗客は2〜3席に1人ぐらいで、客室乗務員も手持ちぶさたのようです。
午後1時頃、UA837便は成田に向けて飛び立ちました。
機内食のメニューに「お弁当」なるものがあるので、それをリクエストすると、立派な和食が出てきました。 しかも、量がかなり多く、前菜だけでお腹いっぱいになりそうです。 機内食で満腹になるとは、エコノミークラスでは味わえない贅沢です。
食事の時間が終わって眠ろうとした頃、飛行機は突然激しく揺れ始めました。 その後も、飛行機は断続的に揺れながら、ジェット気流に逆らって太平洋上を西へ向かいます。
2日火曜日の午後4時30分頃、無事に成田空港に到着しました。
今回のボイジー訪問は、往復の飛行機以外はほとんど計画を立てず、「BSU近辺をぶらぶらするだけでもいいや」という程度の気持ちで出発したのですが、振り返ってみると、思った以上に充実した旅行でした。
考えてみたら、今回の滞在中は、最後の日曜日以外は毎日、ボイジーに住む知人のうちの誰かと会っているのです。 この事実に気づいたときには、「ボイジーには私を快く迎えてくれる人がこんなにいるんだ」と、うれしく思いました。
ボイジーを訪れる次のチャンスは、来年3月のBEST Conference(研究集会)です。 早くも、その時が待ち遠しく思えてきます。
02/03/26 第6次ボイジー訪問記
すっかり恒例となった春のボイジー訪問。 今年も、BSU数学科の研究集会(BEST Conference)に合わせて、3月26日から4月2日までの日程でボイジーを訪れました。
旅立ち
今回の出国は成田空港から。 テロ事件直後の昨秋の訪米時とは大違いで、サンフランシスコ行きのUA838便は満席。 マイルを使ったアップグレードもままならず、エコノミークラスのシートに身を収めました。
フライトはきわめて順調で、9時間ほどでサンフランシスコに到着しました。
ボイジーへの国内線は、昨年までは104人乗りのボーイング737で運航されていましたが、今年から提携会社のSkyWestに移管され、50人乗りの小型ジェット機(CRJ)による運航になりました。 ターミナルも今までと違って、「飛び地」の搭乗待合室までバスで移動しなければなりません。
ボイジー行きUA7917便は、小気味よいジェットの加速とともに離陸し、サンフランシスコ湾をひとまたぎ。 ボイジーまでおよそ1時間半のフライトです。
機内誌「SkyWest」を手に取ってみると、なんと、特集記事でボイジーが取り上げられています。 新就航地の案内ということで、ボイジーの自然や風土、それにリバーフェスティバルなどのイベントが紹介されていて、興味深く読みました。 普段なら機内誌は読んでもすぐシートポケットに戻しますが、今回ばかりは持ち帰らないわけには行きません。
ボイジー空港に降り立つと、空は快晴で春の陽気。 さっそくレンタカーを借りてダウンタウンに向かい、定宿のUniversity Innに投宿します。
鈴木夫妻との出会い
滞在初日の午後は大学周辺の散策と買い物に費やし、食事も宿の近くのチャイニーズファーストフードで簡単に済ませました。
研究集会は滞在4日目の金曜日から始まるので、最初のうちは自由に過ごせます。
2日目の昼、一緒に昼食をとろうと約束していたDeanが宿に迎えに来ました。 さっそく彼の車でレストランへ行くのかと思ったら、どうやら他にも昼食をお供する方がいるようです。 彼は「これから1年間ボイジーに滞在する日本人夫婦が今朝到着したところで、私は彼らの世話をしているところだ。今から彼らのホテルに迎えに行って、一緒に食事をしよう」と言って、空港に近いホテルに向かいました。
ほどなくホテルに到着し、鈴木忍さん・優子さんご夫妻とご対面。 忍さんは亜細亜大学短期大学部の教授で、専門は経営学。 研究対象としているヒューレット・パッカード社の経営の実態を視察するために、サバティカルとして夫婦でボイジーに1年間滞在することを決意されたそうです。 AUAP(亜細亜大学アメリカプログラム)のつながりで、DeanをはじめBSUのAUAPスタッフの方々とはすでに親交があるばかりでなく、娘さんも亜細亜大学短期大学部在学中にJCAP(短期大学留学プログラム)でBSUに滞在されたそうです。
ともあれ、まずは腹ごしらえ。 Deanの車でParkcenter Blvd.のアメリカンレストラン「Jaker's」に向かい、4人で昼食とあいなりました。
食事のあとは、鈴木夫妻の生活準備のため、さっそくDeanの車で買い物ツアーが始まりました。 大型スーパーマーケットのWinCo、アジア食材店Orient Market、1ドルショップ、ShopKoなどのお店を次々にまわり、当座の生活のための食品や雑貨を買ったり、アパートへの引越に備えて家財や電気製品を物色したり… 思えば、私も5年ほど前に、TomekとJoannaに買い物に連れていってもらって、勝手が分からないまま生活に必要な品々を買い集めたものです。 でも、今回はむしろ私のほうが鈴木夫妻を「案内」する立場です。
買い物を終えてホテルに戻り、鈴木夫妻と別れた直後、Deanが私に向かって一言。
「マサル、君がいてくれて助かったよ」
えっ! 全く予想しなかった言葉に驚き、すぐさま「私はそんなに役に立ったのか?」と聞き返しました。 私としては、買い物ツアーは単に「おつきあい」というつもりでしたが、ボイジーでの生活を多少なりとも知っている日本人が案内役に加わったことで、Deanにとっては安心感があったのでしょう。
オレゴン州へ半日ドライブ
研究集会前日の木曜日の午後は、お隣オレゴン州のオンタリオという町にドライブに出かけました。 オンタリオ周辺は日系人が多く、夏にはBuddhist Templeで「お盆フェスティバル」が行われると聞いていたこともあり、一度は訪ねてみたいと思っていました。
ボイジーを出発したのは午後2時頃。 フリーウェイI-84をまっすぐ西に進み、スネーク川を越えて1時間ほどでオンタリオ郊外へ。 ここまでは順調でしたが、市街地に必ずあるはずの「Visitor Information」を見つけられないまま市街地をうろうろ走り回り、時間を浪費してしまいました。
やっとの思いで、市街中心部の博物館に併設されたVisitor Informationを見つけ、案内所の女性にBuddhist Templeへの行き方を尋ねると、地図を示して親切に教えてくれました。
件のBuddhist Templeは、市街地の東側、閑静な住宅街の中ほどに建っていました。 建物の外観は「寺」とも「教会」ともつかない変わった雰囲気で、日本の寺とは大違い。 敷地の隣はやや広い駐車場になっていて、「お盆フェスティバル」はここで行われるようです。
Templeのほかに、ディーポ(鉄道駅)や公園内のJapanese Bridgeを見物して、オンタリオをあとにしました。
Joyceさん宅で夕食会
研究集会初日の金曜日の夕方は、AUAP(亜細亜大学アメリカプログラム)ディレクターのJoyce Harvey-MorganさんがDeanと鈴木夫妻を招いて夕食会を開くとのことで、私もDeanに誘われて夕食をご一緒しました。
ボイジーでの生活を始めたばかりの鈴木夫妻の「歓迎会」ですが、当のご夫妻は連日の買い物と生活準備で少々お疲れのようす。 それでも、Joyceさんの手料理を味わいながら、日本とアメリカの生活習慣などの話題で盛り上がり、夜遅くまで歓談が続きました。
翌土曜日の夜は、Tomekの家で研究集会の歓迎パーティ。 20人ほどの研究集会参加者が集まり、にぎやかなディナーとなりました。
ジャックポットでカジノに挑戦!
研究集会は日曜日の午前で終了。 午後は今回の訪問で2度目の長距離ドライブとして、ツインフォールズとネバダ州ジャックポットを訪れました。 ツインフォールズは3年前に一度訪れていますが、ジャックポットは今回が初めて。 ネバダ州とアイダホ州の境にある小さなカジノシティです。
午後1時頃、ボイジーを出発してフリーウェイI-84に入り、まずはツインフォールズを目指します。 荒野の中のフリーウェイをひたすら走ること2時間、ツインフォールズの出口でフリーウェイを下り、スネーク川を横切ってツインフォールズの町へ。 さらにそこから東に3マイルほど走り、スネーク川の谷に通じる曲がりくねった道を下っていくと、ほどなくショショーン滝の駐車場に着きました。
日曜日の午後とあって、多くの観光客が訪れています。 車を止めて、滝を見渡す展望台に行ってみると… なんと、滝とは名ばかりで、水はほとんど流れ落ちていません。 3年前に訪れたときには、目の前の崖全体を水が流れ落ちていて、迫力満点だったのですが、今回は大違い。 まだ雪解けには早かったのでしょうか。
ツインフォールズの町に戻り、US93号ハイウェイを南に向かいます。 ゆるやかな起伏の続く直線道路を40分ほど走ると、"Welcome to Nevada"の小さな看板、そして突然視界に飛び込んでくるカジノの看板。 ジャックポットの入口です。
まずは町のようすを見てみようと、そのままUS93号を南に進むと、あっという間に町を通り抜け、"Time Zone Boundary"の看板を見つけたかと思うと、そこから先は再び一面の荒野。 慌ててUターンして、あらためて町を見渡すと、あるのは4軒のカジノつきホテルとガソリンスタンド、そしてわずかな集落のみ。 まさに、カジノだけのための町です。
ともかく、ここに来たからには、遊んでいかないわけにはいきません。 手近なカジノに足を踏み入れ、ビデオポーカーやスロットマシン、それにカードゲーム(ブラックジャック)に挑戦してみました。 カジノ自体は4年前にラスベガスで経験済みですが、ディーラー相手のカードゲームは初めて。 他のプレイヤーの見よう見まねで、少し緊張しながらプレイしました。
日が暮れかけた頃にカジノを出て、ガソリンスタンドで給油を済ませ、ボイジーへの帰途につきました。 およそ200マイル、3時間近い暗夜行路の末、10時過ぎにようやくホテルに戻ってきました。
ウェストさん宅のピザパーティ
滞在最終日となる月曜日は、ウェストさんのお宅にピザパーティに招かれました。 せっかくだから、私だけでなくボイジー新住民の鈴木夫妻も招待しては、とウェストさんに申し出ると、快諾のお返事。 鈴木夫妻はちょうど今日からアパートに入居するとのことで、午後6時頃、新居となるアパートに夫妻をお迎えに行きました。
アパートでは、Deanが手伝って引越荷物の片づけをしているところでした。 そこで、突如Deanもピザパーティに参加することになり、いったんDeanの家に立ち寄ってからウェストさんのお宅に向かいました。
ウェストさん一家は、つい最近新居を購入して引っ越したばかりで、今日のパーティはちょうど"housewarming"(新居披露パーティ)といった感じ。 私たちのほかに、ボイジー近郊にお住まいの日本人数人が参加され、焼きたてのピザを囲んでの賑やかな夕食会となりました。
帰路
火曜日、朝8時頃にホテルを出発し、空港でレンタカーを返却してチェックインカウンターへ。 往路はビジネスクラスに乗り損ねたため、「今度こそ」と思い、国際線区間のアップグレード空席待ちをリクエストしました。
ゲート前に行ってみると、日本人の青年が老婦人に付き添われて搭乗を待っています。 話しかけてみると、彼は今春高校を卒業したばかりで、親戚のつてでホームデール(Homedale)を訪問し、留学先として希望しているAlbertson College of Idahoを見学したとのこと。 私と同じ便で成田に向かうとわかると、見送りのご婦人は「日本人が一緒なら安心だ。どうか彼の面倒を見てやってほしい」と私に話しました。
UA7918便は、定刻より遅れて10時頃にボイジーを出発。 例によって、サンフランシスコでの乗り継ぎ時間に余裕はなくなり、慌てて乗り継ぐことになりそうです。
1時間半ほどでサンフランシスコに到着。 日本人青年とともに急ぎ足で国際線ターミナルに歩き、成田行きUA837便のゲートの前に着くと、すでに搭乗が始まっています。 アップグレードの空席待ちはめでたくクリア。 カウンターでビジネスクラスの搭乗券を受け取って、機内に足を踏み入れました。
ほどなく、UA837便はゲートを離れ、成田に向かって離陸しました。
今回のフライトは、揺れも少なくきわめて順調。 機内食を食べ終わるとあとは退屈で、リクライニングをいっぱいに倒してゆっくり休みました。
4月3日午後、成田に到着。 長いようで短かった、6回目のボイジー訪問の旅でした。
今回の訪問で最も印象的だったのは、鈴木夫妻との思いがけぬ出会いでした。 ご夫妻のほうも、渡米準備中にすでにBoise on the Webを知っていたものの、「まさか作者に会えるとは思わなかった」とのこと。 これもDeanのおかげ、というより、AUAPを通じて得た人脈のおかげ。 DeanやMollyを通じて、BSUと亜細亜大学との交流に少しでも関わることができたことを、あらためてありがたく感じました。
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