<ストレイト・ストーリー>
映画を観ることは若い頃から好きで、高校生時代に地方新聞社のアルバイト(敗戦後間もないころはこの言葉はまだなかった)をしていた折に、印刷物を映画館に届けに行くと、係りの人に「よかったら見ていきな」と言われ、ただで何本も見せていただく'恩恵'にあずかりました。神学生時代はほとんど見るチャンスがなく、牧師になってからも話題作をたまに亡妻と鑑賞する程度でした。ところが「映画熱」に再び火がつく機会が到来したのです。
10年前に旧知の友人であるロス郊外のパサデイナにあるフラー神学大学院のロバート・ジョンストン教授が来日した際の特別記念講演から、映画を聖書的、神学的な観点で見るように示唆を受けたのです。ノース・カロライナ州のデューク大学院で「神学と映画」のテーマで博士号を取得した彼は、黒沢 明監督の「生きる」(1952)が、主人公志村 喬の生き様を通し人生の意味と可能性と、死の現実性に関する深い普遍的な知恵を描いた痛いほどの美しさを持った作品であるとのべました。そして2年後に出版された夫人との共著「映画の中に神を見いだす」(Finding God in the Movies ベーカー・ブックス2004)で、「見る目を持つ者」にとっては、神は映画の中にも臨在する、と指摘しています。
ツインフォールズIDの新聞
同書で取り上げられている33夲の映画作品のうち、すでに廃盤となったものを除き、DVD22本(大半は洋画で、邦画は宮崎駿監督のアニメ「千と千尋の神隠し」1本のみ)をレンタルと個人的に購入したものと合わせて鑑賞したのですが、それらの中から印象に残り、また感銘を受けたものと、それ以外の作品を往年の名作も含め聖書との関連で順次紹介していきたいと思います。
「ストレイト・ストーリー」(予告ムービー)
(監督デイヴィッド・リンチ リチャード・フアーンズワース、シシー・ スペック、ハリー・デイーン・スタントン 米国 1999年)
滝TRNテキサス州ウィチタ
この作品は、ジャンルで言うとロード・ムービーにあたります。私たちが遠距離に住む家族や友人たちに会いに行くときはどんな交通手段を使うでしょうか?飛行機、バス、車を利用するのが定番ですね。ところが運転免許を持たない73才の主人公のアルビン・ストレイトは、なんとアメリカの農業耕作機械の大手メーカーであるジョン・デイア社の時速8キロのトラクターを使うのです。中西部のアイオワ州のローレンスという町から、ウィスコンシン州のマウント・シオンまでの560キロ(東京から京都の少し先)を荷物のせた小さなトレーラーを引っ張っての旅をする方法を選びました。60年代前半に留学していたころ、宣教師とシカゴからアイオワ南端の町へ夜行列車で旅行したことがあったのですが、ほぼ一昼夜かかったと記憶して� ��ます。
時小槌滝10月アーカイブ
何が彼をこのような長旅に駆り立てたのでしょうか?それはマウント・シオンに住む三つ上の兄が心臓麻痺で倒れたという一本の電話でした。10年間仲違いして以来、お互いに会っていなかったのです。アルビンは兄と再会を決意しました。道中、行き会った人々からさまざまな助けを受け、また交流をしながら目的地に向かう彼。明日到着するという前の晩、教会の近くの庭に野宿した彼は、そこの神父に会い、兄のことを話すと神父から会ったことがあると聞いたのです。
6週間におよぶ長い旅を終え、弟はとうとう兄の家にたどり着きました。「お前、あれにほんとうに乗ってきたのか」と兄は繰り返して言いつつ再会を喜び合い、星空の下、不和により疎遠となっていた二人は「和解の時」を過ごしたのでした。弟ストレイトの名は、「真っ直ぐにする」という意味があり、マウント・シオンは旧約では「シオンの丘」と呼ばれ(詩篇9:11)、エルサレム全体を指すと共に終末的祝福の源泉として理想化され、新約では永遠の祝福の世界を現しています(ヘブライ12:22新エッセンシャル聖書辞典 p438 いのちのことば社)。弟はその名の通り兄との関係を正すことができ、共に祝福の時を過ごすことができたのです。デイヴィッド・リンチ監督がここまで意図していたかは分かりませんが、結果的にはそうな� ��たと言ってもいいのではないでしょうか。
このストーリーを見ながら、聖書の中の兄弟の和解物語が浮かんできました。旧約の創世記33章には兄エサウを出し抜いて家を出た弟ヤコブが兄のもとに来て涙のうちに和解をする感激の情景が描かれており、父ヤコブの偏愛により妬みをかったヨセフが、兄たちにエジプトに売られたのち、赦しを乞う兄たちと涙の再会をし、和解に導かれるというシーンが55章に記されています。
前述のジョンストン教授は、クラスで「ストレイト・ストーリー」を取り上げて討論したところ、後日、二人の神学生が、それぞれの家族との和解を経験した、と話をしたとのこと。わたしたちの人生に関わる神学的テーマ(この作品では和解)を、映画の物語あるいはドラマを通して教えられ、考えさせられるとき、それらは私たちを行動に駆り立てるすばらしい霊的な経験となると言えるでしょう。
映画鑑賞を通してわたしたちがゆるし、和解、友情、信仰、生きることなどを受け止めるとき、それは霊的な経験となることを意味します。感動を覚えて喜びに浸り、また涙を流すとき、「神との出会い」に導かれることも起きると言えるでしょう。また作品において語られているメッセージを聞き、聖書と比較対照するときに、得ることが多々あると言えます。
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