2012年3月30日金曜日

クチビハール


1947年8月 英領インドがインドパ キスタンに分かれて独立。クチビハール一帯は両国の入り乱れた飛び地が多数出現する
1971年12月 バングラデシュがパキスタンから独立。ク チビハール一帯はインドとバングラデシュの飛び地になる

Cooch Beharの詳細地図  
Cooch Behar一帯の地図(1955年)  なぜか飛び地はほとんど載っていません

東パキスタンとブー タンの間に「クチビハール」があります
でも国境に散在する飛び地はあまりに小さいのでこの地図には 出ていません

バングラデシュはいまでこそ独立国だが、かつてはパキスタンの巨大な飛び地(東パキスタン)だった。1947年にインドが イギリスから独立した時に、イスラム教徒の多い地区がパキスタンとして分離したからですが、本土から1600kmも離れて民族や言語は違うのでは1つの国 としてうまくやっていくのはさすがに無理。インドに支援された独立戦争が起きて、1971年に独立を果たしたのだ。

ところが飛び地でなくなったはずのバングラデシュには、現在もインドとの間に小さな飛び 地が200ヵ所以上もある。バングラデシュの北の端、インドのクチビハール州との国境地帯で、インド領内にバングラデシュの飛び地が95ヵ 所、バングラデシュ領内にインドの飛び地が129ヵ所。そのうち24ヵ所は飛び地の中の飛び地で、「バングラデシュ領内のインドの飛び地の中のバングラデ シュの飛び地の中のインド領」というわけのわからない場所もあれば、面積わずか50平方メートルしかない世界最小の飛び地もある。しかも自由に行き来でき る西欧あたりの飛び地と違って、本土と飛び地の間の往来は制限され、政府も飛び地に果たして何人住んでいる のか把握不能というありさまだ。

これらの飛び地が生まれたのは、インドとパキスタンが分離した際に、ヒンズー教徒の集落はインド領に、イスラム教徒の家や畑はパキスタ ン領になったから生まれた・・・のではない。イギリスの植民地だった時代から、東ベンガル州(現在のバングラデシュ)とクチビハール藩王国(現在のインド 領クチビハール州)との間の飛び地として存在していたのだ。

飛び地がグチャグチャできたわけ

2012年3月28日水曜日

Tuusin26



研修会でのMr.チルカ(後列右から2人目)


右がMr.チルカ考案のバーナー


ムテンデーレ入口のゴミ捨て場


ムテンデーレのメインロード


葬儀の相談をする親族(白い帽子がMrs.チルカ)


Mr.チルカの遺児たち(6男1女)