<ストレイト・ストーリー>
映画を観ることは若い頃から好きで、高校生時代に地方新聞社のアルバイト(敗戦後間もないころはこの言葉はまだなかった)をしていた折に、印刷物を映画館に届けに行くと、係りの人に「よかったら見ていきな」と言われ、ただで何本も見せていただく'恩恵'にあずかりました。神学生時代はほとんど見るチャンスがなく、牧師になってからも話題作をたまに亡妻と鑑賞する程度でした。ところが「映画熱」に再び火がつく機会が到来したのです。
10年前に旧知の友人であるロス郊外のパサデイナにあるフラー神学大学院のロバート・ジョンストン教授が来日した際の特別記念講演から、映画を聖書的、神学的な観点で見るように示唆を受けたのです。ノース・カロライナ州のデューク大学院で「神学と映画」のテーマで博士号を取得した彼は、黒沢 明監督の「生きる」(1952)が、主人公志村 喬の生き様を通し人生の意味と可能性と、死の現実性に関する深い普遍的な知恵を描いた痛いほどの美しさを持った作品であるとのべました。そして2年後に出版された夫人との共著「映画の中に神を見いだす」(Finding God in the Movies ベーカー・ブックス2004)で、「見る目を持つ者」にとっては、神は映画の中にも臨在する、と指摘しています。
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